森永 春和|Okivelレンタカー株式会社

マジュンメディアでは、沖縄の中小企業・起業家を全力でサポートするために立ち上がりました。また一歩先を行く彼らイノベーターの考え方に触れることで次のイノベーターたちの道しるべになる役割も果たして行きます。

今回のイノベーターは、森永春和さん。一度会社を休眠させるも、再度這い上がり現在は2社の経営者として活躍中。新しいチャンスがきた時の考え方がとても勉強になりました。また沖縄旅行者向けて、「よりハイクラスな快適さに」着目し、安全と便利さを追求した高級車専門レンタカーの会社を今年立ち上げていらっしゃいます。この美しい沖縄を訪れる方々に一生の思い出を持ち帰っていただきたいという「おもてなしの心」のある会社です。是非機会があれば利用されてみてください!

マジュン
マジュン

本日はよろしくお願いします。

森永春和
森永春和

こちらこそよろしくお願いします。

マジュン
マジュン

では、早速ですが、おいたちの中で今に影響与える出来事を教えていただいてもいいですか?

森永春和
森永春和

チームスポーツをやってきたという事で。単独で動くというより複数、チームで動くことにすごく価値を持っている。一人じゃ何もできないという想いがあるんです。

マジュン
マジュン

子供の時の経験からそう感じていらっしゃるのですか?

森永春和
森永春和

一番大きのは中学の時のサッカーの部活で県大会優勝して九州に行ったというのは大きいです。強い強いと言われてはいたが、那覇市では勝つ。でも県大会に行くと4つくらいで負けてしまう。という状態をずっと新人戦から経験していて。最終的には、チームが1つになってその目標に向かっていくところ。チームに助けられる、みんなで助けてというところで勝ち抜いたというのがあったんでその経験が大きいですね。

森永春和
森永春和

その後中学を卒業して、高校は工業高校に行って、建設業(管理技術者)としてスタートはして。建設業(管理技術者)というのも、官公庁の工事を請け負って現場で物を作って官公庁納めるという仕事だったんですが、一つの事務所に4−6人のチームでやっていて、そこでもそれぞれの持ち場持ち場でのがんばりがないとできないというのはあり、「チーム」や「複数」で動くことに価値を感じるという今の自分というのはあるのかなと思っています。

影響という意味では育てられ方もそうだよね。自分は長男として生まれて、初孫というのもあったんで、じっちゃんばっちゃんからも可愛がらるし。

森永春和
森永春和

母親が離島出身で、うちに学生の時に下宿として来ていた経緯もあって。母が21歳の時に結婚しているのだけど、高校生とか大学生の時にうちに下宿していたので、おばたちが、自分たちを可愛がって、子守っていうのを一緒にやってくれたっていうのがあった。だから自然と人には優しくするというのもできたのかな。された分をできるっていう感じなのかなとは思っています。

チームに助けられてきた

マジュン
マジュン

周りの環境に支えられながら生きてきたというのがあるんですね。

森永春和
森永春和

小学校の低学年くらいまではどちらかと言えば内弁慶で内向的でした。一緒になって遊ぶっていうのはできなかったです。

幼稚園の時なんかは登校拒否だよね(笑)朝起きれなくて(笑)嫌だ、行きたくないと駄々こねて、お袋に手を引かれて毎朝校門まで連れて行ってもらって。その流れて幼稚園も入ったという感じ。

行ってしまえば、遊んではいるんだけれども、そこまでの過程がやっぱりすごく内弁慶でなかなか大変だったというのはあったみたいね。

マジュン
マジュン

お家がとっても心地よかったのいうのもあったのかもしれませんね(笑)

森永春和
森永春和

まぁまぁ、居心地もよかったのでしょうね(笑)

マジュン
マジュン

そんな中で小学生になり野球部に入られて、最終的には「ご自身でチームを作ろう」ってなったんですよね。

森永春和
森永春和

そうそう。低学年の頃は内向的だったというのもあって、3年の時の春休みに体が大きくなって、その時に、沖縄の人ならほどんどの人が知っていると思うんだけれども、選抜で豊見城高校の赤嶺賢勇がベスト8をかけての試合、東海大相模との試合、原辰徳なんかの時の時代。あれにすごく感動して野球をやろうというような感じで動いたのかな。

必要以上な実力以上な自信だけがあって自分が補欠で2番手だったわけね。ポジション的にはキャッチーの2番手というような感じだったんで、それが自分受け入れられなくて、試合にでたいじゃない。やっぱりね。ちっちゃいときというのは。だから結局仲間で、自分達のチームを作って親父にお願いして監督やってもらって、登録して大会に出たんですよね。

1975年第47回選抜高校野球/豊見城vs習志野

マジュン
マジュン

自分たちで作っちゃおうという発想が素晴らしいですね

森永春和
森永春和

親も協力してくれて、自由にさせてくれたというのはあるよね

マジュン
マジュン

2番手に甘んじないで、チーム作ろうという。

森永春和
森永春和

まぁ、仲間もいたからだろうね。やんちゃだね(笑)

マジュン
マジュン

そんな監督を引き受けてくださったお父様の影響はいかがですか?

森永春和
森永春和

父のイメージは、幼少時っていうのは怒られた記憶がない。家にいなかった記憶しかなかった。うちの父も建設業の技術者だったんで、あのころって沖縄がずっと復興していっている時期でもあるし、土日がないんよね。夜も、接待ではなくて現場での調整の意味での飲みとかも多いんで、うちらが寝たころに帰ってきて、朝はもううちらが起きるころにはもう出て行っていないというような感じだったんで。

だけど、そうかといって遊んだ記憶がないかっているとそういうことはなくて、要所要所で連れて行ってもらったり、あと小さいころよく父の仕事場に連れていってもらったんだよね。1日日曜日の朝なんかおっきな浄水場とかの工事なんかをみているときだったんだけれども、生コンのコンクリート内側だけね。

それをずーっとそこで見ていた。私はそれを飽きせずにずっと見ていたらしい。だから、自然と建設業の技術者の道にレールが敷かれてたっていう感じかな。

マジュン
マジュン

建設業の管理技術者になられたあと、初めての起業をされたんですよね。

森永春和
森永春和

18歳で工業高校を卒業して、まず先に東京の方で勤めて3年くらいで帰ってきて、父の勤めていた会社に父の紹介で一緒の職場に勤めました。

そこから9年くらいしてからかな、浦添市に先輩と一緒に移って、20数年(四十くらいまで)建設業で勤めて、政権交代があった時代に談合だったりとか社会的な問題になった時期に、自分が勤めていた会社が建築がメインの会社だったんで、土木系関連の建設受注が減って土木系の事業を廃業にすることになり、一度総務に入るっていう話もあったんだけど、「技術屋なので生産性ないんでいいです」っていうことで、退職しました。

森永春和
森永春和

そのころに成功哲学の勉強と触れ合う機会があったと。

技術屋としては50−60まで働くのは辛いというイメージはできたわけよね。将来的には営業をするかや技術職の管理職になれたらなという漠然とした甘い考え。

営業というのは、今実際に営業の職ではあるんだけれども、こういった営業ではなくて、昔の談合屋のイメージよね。建設業の営業というイメージなので、入口はすごーく甘い営業の世界から入っています。

そこで成功哲学を集中的に勉強して、自分の可能性っていうのを見出すっていうか、あるんだっていうのに気付いて、今の仕事に流れていくっていう感じ。

その時に一度起業したのですが、その時は素人がただ単純に法人を設立した。お金が出せば設立できるんで、設立したというだけだったんで、結局入ってくるものが全く見合わないものだったので1〜2年で閉じて、その時に今の前身の、アリコジャパン勤めてた同級生、たまたまこれも高校の時のサッカー部の仲間が先に勤めてたんで、こんなに頑張ることができるんであれば、うちでやってみたらという軽い誘い。

私も現金収入が入るんであればっていう単純な話。そっから入った。

それが2008年の時なので、この業界に入って11年という感じ。

マジュン
マジュン

節目節目での人とのご縁というのは大きいですね

森永春和
森永春和

だね。いい加減な生き方をしてなかっただけはすごく取柄かなと思ってて。それはやはり1番影響あったというのは親父なんです。一緒に勤めていた時もそうなんだけれども、すごく後輩たちから慕われて、上からもそうなんだけども、慕われて、家にいなかったというのもそのへんの影響があり。一緒に勤めているときは、何回か一緒に酒飲むところとかに連れて行ってもらって、その時に、自分からしたら先輩、親父からしたら後輩達との接し方というのを見せてもらってたんで、やっぱりそういったのを大事にしなきゃいけないというのは自然と身についていたのかもしれませんね。見てたんで。

もうやっぱ聞き役よねずっと。おやじは本当によく聴いてあげていたから、みんなが慕ってきてたんだろうな。今学びの中ですごく大事なことだと解っているんで、それは今の仕事に十分に生きているんだろうな。

一つ一つの現象が起きた時に、「なんだろう」ってところで思い起こすとそういったものとかっていうのが過去にあったなぁとかっていうのはしっかり思い出しますね。

マジュン
マジュン

okivelレンタカーが設立され、社長に就任するきっかけというのは?

森永春和
森永春和

人との出会いと学びから。自分の中で影響があったのはジェームススキナー氏との出会いからだね。無限の可能性を感じ、いろんなものが準備できているというところがあったり。

去年再婚しているのですが、今の妻も事業承継で会社(自動車関連)を経営していて、義父のところで上手くいかなかったというところの負債を抱えたりというのがあって、「なんとか一緒に無くしていきたい」というのがまず一つのきっかけとしてあります。

あと、早川氏といういろいろと結果を出されている事業家の方との出会いがあります。この出会いで新たな学びがあり、分析してみても、うまくいかないわけがないと思い踏み込んだというのがあります。

2つ目の企業を起こしたという形ではあるんですが、体はかっこよく見えるかもしれないんだけども、本質的には少しでも稼ぎたい、少しでも力になりたいというところが大きな入口だね。

根本的にはそんなとこかな。

マジュン
マジュン

okivelレンタカーの発案というのはどこから生まれたんですか?

Okivelレンタカー株式会社

森永春和
森永春和

発案というか、沖縄で今何が必要か考えた時に、言い方は適切ではないかと思うんですけど、安いパックで来ている旅行者というくくりと、そうではなくて、比較的お金をかけて、優雅な旅として来ている人達と、同じように来て車を借りるってなった時に、言い方は悪いですけど、リッターカーを借りて、普段は乗ってないような車をとか、安全面とか、基本的に店舗に行って1時間近く待たされて手続きをとって出ていく。

これは実際にうちの役員たちが感じてることでもあったんですが、このロスていうのを不憫に思ってるとか、沖縄に来た時にタクシーを使いたいというのがあるが、得てして観光地のタクシーの運転手って評判が良くないんだよね(汗)どこの地域でもそうだと思うんだけど。レンタカーを借りたくても、さっき言ったようなものが、すごく不満だとか。「お金に見合うサービスであれば、いくらでもお金出すのにな」って話していたことは入口になりましたね。

森永春和
森永春和

「お金に見合うサービスであれば、いくらでもお金出すのにな」っていう話にヒントがあって。尚且つ妻が自動車関連の仕事なんで、そこに貢献できるというのもあり合致する。

とはいえ、やっぱりうまい話だけじゃないじゃないですか。リスクとして考えた時に、じゃぁ、上手くいかなかったときにどうしようかと。それなりに車も購入しなきゃいけない。上手くいかなくなった時に、じゃぁ自分が抱えましたってなっても、資源はうちは車なので幾らかは売れますよね。それを売却して、万が一こけても、負債は小さくなる。それくらいなら自分でもカバーできるだろう。っていう見通し。

沖縄で最高の思い出を作ってもらうための高級車レンタカー

森永春和
森永春和

痛いではあるんだけれど、それくらだったらいいんじゃないのっていう、チャレンジしないあれはないんじゃないかなっていうところ。そっから、今のレンタカーを始めようっていういきさつ。

全然格好いい体ではないですよ。すごいミッションがあって、最高のサービスを提供したいというのが先にあったわけじゃなく、自分の生活、守りたい人がいるっていうのが根底にあり、その上でやはり選んでもらうためにどうしようかっていうところで、カッコいい言葉が出てくるのかなって思っている。

起業の最初ってそういう形もあるんじゃないかなと。保険の方も、自分も会社員として内勤としてスタートして、タイミングでたまたまオフィスが撤退という形になったんで、たまたま代理店にスムーズに移管することができて。そこで上手く行って、普通に今までと同じことをやっていれば上手くいって、税対策のために法人化したっていうところもあって。個人では残せないというのがルールなんで。

法人として残せば自分に何かあったとしても妻であったり子に残すことができるんで、法人化に踏み切ったという、いたっていやらしいですよ。

マジュン
マジュン

大切な人たち守りたいっていうのは大きいですよね。そこだからこそ踏ん張りたいっていうのも。

森永春和
森永春和

一番根っこのところにそれがないとたぶんできないと思うし。会社勤めもそうじゃないですか。守りたいっていうのは、自分だし家族だしっていうところがあるから我慢して時間を売ってるんだし。

マジュン
マジュン

今のレンタカー会社を起業するときに、すでに最悪のシナリオ、出口。上手く行ったときのストーリーも考えられている。と同時に最悪のシナリオを一緒に考えられたっていのも大切なことなのかなと思うのですが。

森永春和
森永春和

起業って楽しくて楽しくてしょうがないのでいいとこしか見えない。どんなにリスク的な事言われても、いやいや大丈夫大丈夫って感じの楽観的なところ、見えないというのかな。

っていうところはあるんだと思うんです。でそうやって最悪のシナリオを創ったにも関わらず実際起業してみたらスムーズにいくっていうわけでもないので。

一番は資金面でショートしてしまうとどんどん自分の財産をつぎ込んでいかなきゃいけなくなるというのもあるんで。その辺は考えましたね最初。

マジュン
マジュン

保険のお仕事をされているというのも影響しているのかなと思うんですが、その最悪のシナリオを自分自身が1度考えて受領できていると逆に頑張りやすくなるとかはありますか?

森永春和
森永春和

最悪のシナリオも考えているんで、極力、そこに近ずけないようにできますし、幸い私はベースが今あるので、少なくともこちらの収入の方が全然安定はしているっていうところではあるので、何かあれば補てんはできるよと。そうこうしているうちに、うまく軌道に乗せていけばいいという。

回収はできるだろうと。上手く動いていけば回収はできるんだからっていう。ここは信じるしかない。そこに向かって動くしかないというのはあるんで。

森永春和
森永春和

私も先ほど言いましたが、今比較的安定している一つのベースがあるにも関わらず、2つめにあえてチャレンジする必要があるのかっていうところにも繋がってくると思うのだけど、チャンスだって思ったところをつかみきれるかっていう話をするじゃないですか。

いや準備が整ったらなんだかんだっていう考え方をすると、サッと逃げてしまうというのがあったんで、その時にリスクのところも考えれば、最悪のシナリオを考えてもそんなに大きなリスクじゃないっていう自分が受け入れきることができるかっていうところで踏み切れるのかなって思う。

同じように学んでいる仲間が何名かいたんだけれども、やはりスタートできる人っていうのはごく一部なんですよ。それを見ていても面白かった。実際のところ。

自分もそうですよ。今までもう一つ仕事をしたいといろいろ探してきていろいろ考えてスタートしようと思うのだけど、なかなかスタートしないんです。実際にはいろんなイメージができなかったというのはあると思うんだけれども。今回踏み切れたっていうのは、しっかりイメージすることができたっていうところ。チャンスっていうところでとらえられた。

マジュン
マジュン

始めないかたと森永さんの違いって何があると思いますか。

森永春和
森永春和

「想い」なんじゃないかなと思うよ。「やろう」って思ってるのと、本当に起業しようと思っている気持ちがどれだけかなっていうのはあると思うんです。想いをもって、そして口に出しているか。口に出していないと情報は入ってこないし、周りからも与えてくれない。

発しながら自分で聴きながら分析したりっていうのはやるようにしている。

マジュン
マジュン

発信することっていうのが一つ大切なこととして、あとはそれでも始めない人は始めないじゃないですか。そこから一歩起業して事業を始めるというこのステップを上がれる人は何が違うのかな?

森永春和
森永春和

みんな一緒だと思うんですよ。みんな「怖い」と思うことがあるんですよ。普通に生活していたら、まぁやらない人の方が多いんじゃないですか。それが当たり前だとも思うんです。どんないい話だと思ている案件の話を人にしていても。保険もそうで、商品や情報はいいと思って提供するが、相手もいいと思ってくれるんだけど、実際選ぶかっていうのは別問題。そこで私だけを信じろという話はしないんですけど、「一応は聴く」というのは大事かなと。最初からシャットダウンするのではなく、一度は聴いて、もう一つ情報とか自分で調べてみるなりやるっていうのが大切だと。

起業に関しても、一緒だと思うんです。いろんな情報を仕入れて自分で調べてみるのも一つだと思う。

あとはうまく行ってる人がこれは「いい」という判断であれば、絶対に私よりは経験値も上じゃないですか。ということは乗っかってみるのも一つの方法かなと思っています。

学びながらリスクとかメリットとか考えながらやってはいるんですけれども、これだけ起業していろいろなものを見てきている人、いろいろなアドバイスしてくれて、コンサルしてくれている人が勝算ありだねと言ってくれた、なおかつ一緒に仲間として入ってくれたっていうのは大きいので、そこは信頼して飛び込むというのはありかな。

逆に一緒に巻き込むことで、私が普段得られないものを得ることができると考えています。失敗を恐れるあまりに飛び込まないというのではなく、お金を出してただ学ぶのではなく、一つの起業として実体験をしている、実験をしているという考え方もしてみる。捉え方かな。必ずしも上手くいかなかったら全てダメだという判断をするのが一般的だと思うのだけど、1つうまくいかなかった方法を学べたというだけの話と捉えてみる。「次に活かす」と考えてみるとか。

もちろん、無駄にすることは絶対にできないので一生懸命がんばるんですけど、万が一上手くいかなかったとしてもそれはマイナスではない。そう思えることも大事かなと。

マジュン
マジュン

その考え方はひとつ大きいですね。

森永春和
森永春和

大きいと思います。一番周りのみんなとは違うところなんだろうなと。やっぱり、そこでみんな怖いんで踏み込み切れない。たとえ100万だろうが10万だろうが、やっぱり惜しいと思うから、怖いと思うんだと思います。

マジュン
マジュン

失敗ということをマイナスって捉えちゃうんですね。マイナスと捉えるか、その先につながる経験として捉えられるか。

安定したもので生活ができている。失敗してマイナスになるくらいなら今の方がいいという。

森永春和
森永春和

安定って言葉も、今は全てが安定じゃないって思っているから。銀行だって潰れるし、今の仕事、保険やもつぶれる可能性だって絶対ないわけじゃない。リーマンもあったじゃないですか。あの時なんて非難しかない。なんてところに入ってしまったのかと思った。そういのも経験してきたので。

マジュン
マジュン

安定だと思っているそれは安定じゃないんですよってことですね

森永春和
森永春和

今の仕事だって安定してると私さっきは言っているんですが、実際のところは明日、明後日どうなるかわかりません。私自身が資本なんで動けなくなればそれだし。

私自身、1か月間生死を彷徨う病気というか入院をした経験があって(3年前かな)。全く予期せぬところで、3日間意識不明になってしまって、1週間くらいICUに入って暮らしたというのがあって。

父と母が毎日見舞いにきてくれて、自分が先に逝ってしまったら、父は今年他界したのですが、当時はこの先10年以上は生きると思っていたので、10年間苦しめてしまうだろうなっていうのがあって。絶対ここから出てやるって思ってた。

絶対にここから出てやるぞって思った。セミナーで学んだ「アウシュビッツの収容所」の話があったじゃないですか。絶対ここから出ていくと思った人と悲観的にとらえた人で違ったという。あれがずっと頭の中を巡ってるんです。

私は絶対にここから出て行くって想い続けてて、ある意味生還できたのかなとも思ってる。

面白いですよ。いろんなことが起こるんで。学ぶことって大切だなって思ったのは、そういったときのホントに窮地に陥った時にどうとらえることができるかっていうところで変わっていく。

別の角度で学んでいるんですけれども、経営でもそう、夫婦であってもそう。全部がつながっていると思っている。

社長になったから偉いんじゃなく、ずっと死ぬまで学び続けることだなぁ。技術的なことだけじゃなくて、私自身が大きくならないと、人間的に太くならなきゃいけないと思っているんで。

そこは大事だと思っている。

自分が大きくなればなるほど、仕事にも絶対にプラスの影響しか出てこないと思っているんで。テクニカルなことだけをどんなに学んでも、自分よりも上の人にはすぐに見透かされてしまう。

今の自分のレベルの人しか来ない、仕事しか来ないと思っているので、考え方としては。自分がどんどんそれに見合うような仕事をしたいんであれば、自分をどんどん大きくしていないといけない。出会いが大切だし、仲間が大切だし、学び続けることっていうのは大切。

マジュン
マジュン

こういう人とは仲間になりたいなとかビジネスを一緒にやっていきたいという人物像は?

森永春和
森永春和

一番いいのは自分だよね(笑)自分と同じ人がいれば組みたい。どっちかというと。理想としては自分の分身がいれば一番楽だよなというのはある。

基本的にはマイナスと思わない。失敗って思わない人。あと大事にしているのは時間。時間をしっかり守れるというのは基本になってくると思っています。

ちょっとくらいいいやという甘えは、人と会う仕事していたら絶対にありえないとは思っているので。ここは大事にしているので求めます。

あとは直感ですね。直感的に会って感じるものがある。

今の事業でも人を雇いたいのがある。特に募集を出していなんですけど、来ないというのは、私に魅力がないからと捉えている。

私に魅力があれば自然と周りから一緒に働かせてくれないっていうのは来ると思うんです。それができないというのは自分が難儀しないといけない(笑)

マジュン
マジュン

外に責任を求めるのではなく。

森永春和
森永春和

外にアナウンスしていないんだから来ないのは当たり前でもあるし、求人とか、他の職種で人もいないと聴いているんだけれども、それでも採用できる人はいる。人が集まってくる職種というのはある。

仕事に対する魅力、その人に対する魅力っていうのが絶対あるので、自分だなと思っている。

マジュン
マジュン

採用自体がチャレンジですよね。

森永春和
森永春和

怖いです。求めもするし、発信もします。具体的には言わないんですが、きてくれた人を直感的なものというのはあります。

一番高い買い物なので。

私が起業する、代理店ビジネスから法人化したってのは、直販部隊の時に、皆がなかなか長続きしなんですよ。私はたまたまここまで続けて来ることができたんですが、ほぼほぼ皆やめていくんですよ。

ハードルが高くて。営業なんで個人でしょ?って話をする。でも、私はチームの中で育ってきた、助けられて、自分の個としては大した力じゃないんだけれども、チームとして勝つことができた

というところがあるので、自分は常に会社側に上司に常にアクションというか、訴えかけていたんだよね。うちらと同じくらい引き上げることはチームとしてできるんじゃないかって。

でも、一行に受け付けてくれないんですよ。営業端の企業というのは。ずっと跳ね返されて。そしたら、自分でやってみたらいいんじゃないかっていうのがあったんですよね。

だから法人化した。人を雇ってみたいっていう。自分が理想としていたことができなかったことを、自分でやってみればいいんじゃなかっていうのもあるんで、それをやりたいと思っている。

マジュン
マジュン

ご自身の次のビジョンとして、今度はご自身でチームを創っていかれるということ。

森永春和
森永春和

チームを創ってそこそこ稼げるようにというか。それはやってみたいチャレンジ。今それができていないというのは、さっき体のイイカッコいい言葉みたいに取られるかもしれませんが、自分に魅力がないっていうことになるんだけれども、逆に言えば、自分にそれができるかという不安、怖い、恐怖があるから積極的に採用に至ってないというのがあるのかな。

支出も出るじゃないですか、人を雇うというのは。なのでその辺の怖さがあるからチャレンジできていないのかな。

マジュン
マジュン

次のステップなんですね。

森永春和
森永春和

早くいかないといけないと思っているですけど、なかなか踏み切れないというところでは次のチャレンジですよね。

マジュン
マジュン

同じ悩みを抱えてる経営者もいると思うんですよね。レベルを上げていくとき、自分以上の力を出さなきゃいけないからこそ周りに人が必要になってくる。でもやっぱり「怖い」そこを超えられるとしたらどうすればいいと思いますか?

森永春和
森永春和

意外と簡単だとは思うんすよね(笑)やってみれば、「あ、こんなもんか」って思ってはいるんですよね。だからやるかやらないかですよね(笑)

答えはないと思いますよ。準備をしていってじゃぁやるかっていうと。パッと来て「いいな」って思ったら「一緒に働かないか」って言うだけの話かもしれない。それを感じる出逢いがないといえばそれまでかもしれないけど。単純にやるかやらないかだけだと思っています。考えれば考えるほど難しく考えてしまう。越えられないからといっても、結局できない言い訳だけを探しているような気もするので。

やるって決めてやるしかない。そこに尽きるんじゃないかなと思う。

マジュン
マジュン

沖縄生まれの沖縄育ちの森永さんから見て、沖縄に感じる可能性や今後の沖縄や地元に対する想いやメッセージがあれば

森永春和
森永春和

沖縄って島国なんですよね。情報も偏っていると思うし、なかなか外に出て行かないといった県民性もあったりするので、格差の問題でもあってもそうだと思うんだけどやっぱり情報だと思っている。情報もないのでこじんまりとしている。ビジネスでいうとチャンスがゴロゴロ、どんな仕事でもあると思うんです。チャンスはいっぱいあるにも関わらず、チャレンジするかしないかだけの違いだと思うんです。あとは計画というか、検証が少なすぎる。上手くいく方法だけ考えすぎているというのがあるかな。

飲食も県外のオーナーが増えていて、それは緻密さ戦略的なものでいえば長けている。沢山ある中で経験した人、少ないパイの中でやってきている人達。やっぱり飲み込まれるのは当たり前のことだと思うんです。

なくすためには、どうするかっていえば、自分で情報を仕入れて、分析したりなんだかんだも必要になってくる。

チャンスがあるってところで、自分らが働けているっていうのは、すごくやっぱりみんなにチャンスはあると思っています。

ここで生まれ育ったので、ゆるーいところもそうだし、あったかーいところも好きだしというところもある。自然も外に出ると解るじゃないですか。沖縄ってすごく全てにおいて素晴らしいと思っている。

ハワイ行く機会があったのだけど、確かに綺麗ではあるんですが、沖縄もこれくらいだったらあるよって思ってもいるし(笑)

ご飯も沖縄はもっと美味しいよ。物価も高いしなぁて思ったり。いいところって、沖縄の中でも沢山あるんで、ここで力入れてがんばってみるっていうのも手じゃないかな。

沖縄は多い。

保険、金融の知識にしても情報が不足している。うまーく稼いでも残しきれないとか。その選択が間違っているから変なものにひっかっかて、お金だけなくなって愚痴っぽくなるとか。

商売自体は悪くないし、ビジネスであるにも関わらず、半端なやり方をしてるというところ。他社のせいだけにしているというのもあるのかな。

常に情報を仕入れて、自分が仕入れた情報は発信して行こうというのが沖縄への想いなのかなと思います。

ハワイより綺麗な沖縄の海

沖縄シーサー

マジュン
マジュン

自分の中だけに留めるのではなく発信していこうという想いがあるのですね

森永春和
森永春和

自分が何かを情報提供することができれば、相手も求めてくるというのはあるだろうと思うし、自分が知ってて自分の中で納めるっていうだけじゃなくて、大切な人やそういうのを求めている人には常に発信するというのは大事なことなのかな。

保険の仕事を始めた時に、1ヶ月間缶詰で研修した時に衝撃的でした。

転職した時に子供が中学生で、稼ぎがない時に一人で5、6万保険入っていた。ほぼほぼかけすて。万が一の時の保障なんで良いものとしてとらえていた。

保険の仕組みで衝撃

掛け捨ては1万円ですむ、、、、1千万とかすぐにたまる。いいものだと思っていたものがこんなにも違うんだと思った

話、人からの情報というのは聴くところは聴いて、後は自分の中で必要なものであれば受け止めればいいし、必要でなければ破棄してしまえばいい。

そこは大きいと思います。こういったことを1つずつ30代の人たちへ伝えていくのは使命かなって思います。

マジュン
マジュン

それはひとつの選択肢なんだってことをですね

森永春和
森永春和

金融の情報についていえば、保険は素晴らしいって思っているんです。でも、お金を増やすっていう意味では選択は他にもある。

沢山選択肢はある。これも起業と同じ。どれだけのリスクを背負えるかで、株にいってもいい、FXに行ってもいい。これは否定することでもなんでもない。

ただ、手段が違うだけなんで。起業してお金を稼ぐというのも一つの手段。会社員なのか起業するのかというのも選択肢。自分の中でリスクをどれだけ許容できるかというところで変わってくる。

マジュン
マジュン

では今後のビジョンを教えてください

森永春和
森永春和

今後としては自分の中の自分のチームを作りたい。

起業しているものを全て軌道に乗せるというのもありますし、ベースとしては保険のこの会社にスタッフを入れてチームを作って、一人でも裕福というか

普通以上、平均以上にもっていけたらなというのはあります。そうすることによって、自分のところから発信した情報によって、お客様がより豊かになっていく、笑顔が増えていくっていうのが理想。

学び始めた時には近場が見えなかったんですよね。外ばかりに目を向けてしまって。今それを埋めながら、自分の近場からどんどん広がっていく波及していくような形が今後のビジョンですね。

育てる醍醐味。発信するのは役割だと思っている。そういったことをやり続けたい。

マジュン
マジュン

これから起業する人がどういうところから情報を得たらいいと思いますか?

森永春和
森永春和

情報は自分でかみ砕くことができることかな。良い悪いを入口でシャットアウトすることじゃなくて、一回は呑んでみる。誰から得るかというのもある。

であれば、信頼できる人からの情報をまず聞いて。近場にいる信頼できる人っていうのは、同じレベルですよね。一つランクを上げて、自分より上手くいっている人達で話せるっていう人たちからの情報。話を聴けるという人達の話を聴いて、飛び込んでみる。

何にも失うものないですよね。その場は恥ずかしいことあるかもしれないけど。

いろいろ青臭いこともありますよ。でもここで経験していることは次はに活かすんで、同じことはしないですよ(笑)

愚痴りたいときもありますよ。叫びたいときもありますよ(笑)

でも、いろんな人たちとビジネスの実践ができているというのが私の財産かな。

情報は大事。でも鵜呑みにはしないで。